信仰は弱い人がするものだろうか
信仰は弱い人がするものだろうか
死を目の前にした人が、一番後悔することは何でしょうか
知り合いが、「私は見えないものは信じない」、
「神様を信じるくらいなら、むしろ自分を信じる。」と言ったことがありました。
しかし、2年後にその知り合いが胃がん末期であると期間付きの宣告を受けました。
病室に行きました。
とても痩せたその知り合いは、私を見たとき、
急に姿勢を正して、頭を下げて祈ってくれと私にお願いしてきました。
信仰は弱い人だけがするものだ。 宗教は人を弱く、そして依存的にさせる。
自分の力でやらないと! なぜ神に頼るのか
このような言葉を聞くと、信仰は本当に弱い人だけがするように見えます。
親の懐にいた子どもが少しずつ歩き始めると、
しだいに親離れをし、冒険を始めます。
しかし、転んだり、犬が追いかけてきたりしたとき、どのような行動をとるでしょうか?
子供達は泣きながら両親のところに向かいます。
当たり前なことではないでしょうか
困難な時に両親を探すのはこの子供たちが、大きくなって成長したら大人になります。
お金も稼いで、ご飯も一人で食べて、すべてのことを自分で解決するようになります。
本能です。
ところが突然、自分では手に負えない困難が生じたとします。
たとえば、現代医学でも解決できない不治の病にかかった時、
または、暗く荒れた海の真ん中に自分だけが残された時、
どんな考えが浮かぶでしょうか?
これはアメリカで船員として働いていた、
無神論者のショージに実際に起こった話です。
彼は日頃から、神というものは存在せず、
それはつまらない話でしかないと言っていました。
そんな彼が、海に落ちてニッカーソン船長によって
命からがら救助されたことがありました。
次の日、ジョージに会いに行った船長は、
「ジョージ、あの時、海でどうした?」と尋ねました。
ジョージは、「神様に祈った」と答えました。
船長が「君は神様はいないと言っていなかったっけ?」と聞いたところ、
「夜、真っ暗な中で海に落ち、船はずっと遠くへ行ってしまい、
もう死ぬのだろうという状況になると、人は変わるものだ。
気楽に机上の空論を唱えていた時とは全く違う。」
大人も自分では手に負えない困難にあった時には、
霊の父であられる神様を求めるようになります。(へブル12:9)
では、なぜ神様を父だと言うのでしょうか
それは、神様が私たちの霊の父のような存在だからです。
信じられないという人も、
胸に手を当てて、神様は自分の霊の父ではないと断言することができるでしょうか
地球の外は、氷点下270度に達し、宇宙の放射線であふれています。
地球が太陽に少し近づいただけでも、少し離れただけでも、
回転が少し遅くなっても、少し速くなっても命を保つことはできません。
このような温室の中で暮らしながら、
自らを強い存在だと自負する人間の姿は、どれほど憐れに見えるでしょうか
計り知れずに広い宇宙を考えると、人間は限りなく謙遜にならざるを得ません
ダビデは戦争では常に百戦百勝でしたし、
巨人のゴリアテとの戦いも自ら要望するほど勇敢でした。
しかし、ダビデは、まるで、子供が親に助けてほしいとねだるように、
いつも神様に祈り、助けてほしいとお願いしていたのです。
ダビデは神様のいない自分自身が、
いかに弱いのかと言うことを知っていたということです。
「見よ。わたしはすべての肉なる者の神、主である。
わたしにとってできないなことが一つでもあろうか。」と言っています。 (エレ32:27)
このような神様が共にいらっしゃるからこそ、ダビデは強くなれたのです。
過去の歴史の中で、富貴栄華を極めた人たちも、
死ぬ前にはこのような質問をしたそうです。
神様は宇宙万物の創造主だというが、何をもって証明できるのか
人間はなぜ死ぬのか永遠に生きることはできないのか
霊魂とは何か地球の終末は来るのか
死を目の前にした彼らが、一番後悔したことは何だったでしょうか
彼らも困難を通して、人生が一番大切だということが分かったのです。
神様は私たちを見守りながら待っていらっしゃいます。
手遅れになる前に神様を探してみるのは、いかがでしょうか
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