アダムは本当に人類最初の人でしょうか?
アダムは本当に人類最初の人でしょうか?
ほとんどの人が、アダムだけが神様から土で造られた人であると思っていますが、
そんなことはありません。
では、人類最初の人はいつ現れたのでしょうか?
聖書には驚くべき記録があります。
神様が土で人を造ったという御言葉です(創2:5-7)
アダムが登場した時期を計算してみると、約6000年前になります。
かつての人は、その言葉を文字通りに受け入れて信じていました。
しかし、科学の発達により、人間が使用した遺物の年代が分かるようになると、
次第に人々は聖書の内容を疑い始めました。
なぜなら、それらの遺物は、6,000年前よりずっと昔のものであったからです。
一部の学者の話によると、原始人類の起源は、
およそ500万年前だとされています。
アダムは、はたして人類最初の人なのでしょうか
1.アダムの家族、その他の人々
アダムとエバは、カインとアベルという2人の子どもを産みました。
ところが、カインがアベルを打ち殺し、
神様に呪われて追い出されることになります。(創4:3-12)
ここでカインは、変なことを言います。
自分と会った者が自分を殺すと言うのです。(創4:14)
これはどういうことでしょうか?
アダムが最初の人なら、
当時、地球上にはアダム、エバ、カインの3人しかいないはずです。
それなのに、誰がカインを殺すのでしょうか
ところが神様は、カインを殺す者は7倍の罰を受けるとおっしゃいます。(創4:15)
当時、カインを殺す人たちがいるということを、神様も認められたということです。
その後、カインはノットという地域で妻に出会います。
(創4:16-17)
ここでも少しおかしい点があると思いませんか?
当時、地球上にアダムの家族だけがいたのであるなら、
地球上に女はエバしかいなかったはずです。
アダムの3番目の息子は、カインが追い出された後に生まれました。(創4:25)
これらをまとめてみると、
カインと結婚した女性は、アダムの子孫ではなく、
その当時すでに、地球上に存在していた人であるということが分かります。
つまり聖書には、
地球上にはアダムの家族以外にも人がいたということが記録されているということです。
2.アダムの父母
同僚たちと、このような会話をしたことがあります。
アダムにもへそがあるだろうか
人類最初の人であるアダムは、神様が造られたから、
へそが無いのではないだろうか
と、このように言います。
へそは、なぜできるのでしょうか?
へそはお母さんと赤ちゃんを繋いでいたへその緒を切った痕跡です。
お母さんから生まれた世のすべての人には、へそがあります。
しかし、神様が初めに土でアダムを造ったならば、
父母もいないはずであり、へそもないでしょう。
ところがです。
旧約の創世記をみると、
男が父母を離れ妻と結び合うという御言葉が書かれています。(創2:24)
アダムが父母を離れて、エバに出会ったと言っているのです。
アダムには父と母がいたということです。
父母からアダムが生まれたのならば、当然へそもあるでしょう。
ミケランジェロはこれを知っていたのでしょうか
天地創造の絵の中のアダムには、へそが描かれています。
このように聖書には、アダムが人類最初の人ではないという、
いくつかの証拠があります。
それでも、アダムを人類最初の人だと思うのは、なぜでしょうか?
神様が土で人を造ったという御言葉のためです。(創2:7)
しかし、たいていの人たちは、
アダムだけが土で造られた人だと思っていますが、実際はそうではありません。
ヨブ記を見ると、ヨブも土で造られたと言っています。(ヨブ33:6)
神様が土をこねて、ヨブを造ったのでしょうか
そうではありません。
他の一節を見ると、
母胎、すなわちお母さんのお腹から出てきたと自ら言っています。(ヨブ1;21)
伝道書も見てみると、
人はすべて、土から出て土に帰るという御言葉が書かれています。(伝3:20)
私たちは土から出てきたのでしょうか?
そうではありません。
聖書は人から生まれたことを、
土から出たと比喩を使って表現しているのです。
それでイエス様と弟子たちも、
人と人の心を地や畑に例えて、お話されていたのです。(ルカ8:15,Ⅰコリ3:9)
多くの人々が神様の御言葉を誤解して、
人類最初の人がアダムだと解釈する、大きな間違いを犯していたのです。
しかし、聖書にはアダムが初めの人だとも記録されています。 (Ⅰコリ15:47)
その意味を深く考えなければなりません。
ふと、以前聞いた笑い話が思い出されます。
おばあさんがバスに乗ったのですが、中には軍人しかいませんでした。
そこでおばあさんは、じっと見つめてから、バスには人が一人もいないね。
と言ったそうです。
おばあさんの目には、
軍人は人には見えなかったということです。
私たちがニュースを見ていて、
残酷なことをした人を見た時、何と言うでしょうか?
人でなしだ。獣よりも劣るといった言い方をするのではないでしょうか?
人間だけれど、とても人間らしくないということです。
「人面獣心」という言葉もあります。
人の顔をしていますが、心は獣のようだという意味です。
同じように創世記の時にも、すでに人々はたくさんいましたが、
神様が見たときに「人間らしい人」はいなかったということです。
そこで「生気」を吹き込み、人間らしい最初の人としてアダムを作ったのです。
地球上で最初の人間として、
アダムを作ったというのではないのですね。
そして神様が吹き込んだ生気も、
一般的に考える呼吸、空気のようなものではありません。
イエス様は御言葉が、すなわち霊であり、命だとおっしゃっています。(ヨハ6:63)
また聖書では、神様の御言葉を命の御言葉だと言っています。
(Ⅰヨハ1:1、使徒行伝5:20)
アダムに与えられた生気は、
まさに心と精神と霊を生かす、神様の命の御言葉だったということです。
それにより生気が入って、生霊、すなわち霊魂が蘇ったと表現したのです。
もし体を生かすための生霊だったら、肉体が生き返ったと表現したでしょう。
このように創世記の内容は、
文字通りに見ると、誤解するような内容が多くあります。
ですから、正しく教えてくれる先生に出会って学ぶことが、何より大切です。
多くの教会では、まだアダムを人類最初の人として教えています。
そのため、聖書と現代教育との乖離を感じた多くの人々が、信仰を離れています。
聖書は非科学的な神話ではありません。
解釈が難しくて誤解することがありますが、
正確な意味がわかれば、現代の科学から脱してはいません。
もしかしたら、以前聖書を読んで非科学的だと思い、信仰を離れた方がいるでしょうか
今日の映像をきっかけに、もう一度考えてみてください。
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