死ぬとすべてが終わるのか (今まで一度も聞いたことがなかった 人間の存在についての質問と答え)
人の死
1.亡くなったの意味
「亡くなった」という表現は、人のみに使うことができます。
それは、人には「動物にはない霊がある」からです。
人は死んだ後にどうなるのでしょうか すべてが終わるのでしょうか
肉体は土からできているので死んだら土にかえるのです。 では、霊はどうでしょうか霊も墓の中にいるのでしょうか?
それとも、霊は死んだのでしょうか
肉体は死んでも、霊は死にません。
霊は肉体が死ぬとその肉体から離れ、来たところに戻ります。
霊は神様のところから来ました。それなので、
肉体が死ぬと霊は神様のところに戻ります。
このように、人間には霊があるため「亡くなった」ということができます。 動物には「死んだ」と言います。人にも「死んだ」と言うことができますが、 「亡くなった」は唯一、人にだけ使える単語です。
亡くなったという単語の主語が、霊であるためこれこそが、 人にのみ霊があるという証拠でもあります。
2. 人には魂があります。
誰かが亡くなったときに、天に帰ったと言います。
先にお話したように、霊が神様に作られたものならば、私達は神様のもとに帰ります。
「天に帰った」と言いながらも、帰る天については考えたことがありません。
「天に帰った」という表現は、「霊は死んだのではなく離れた。初めにいた場所に行った。」という意味です。
つまり、人には霊があるということです。
霊があるということは、神様がいるということでもあります。
霊をお造りになったのは、神様だからです。
霊については認めるけれど、神様を認めないというのはつじつまが合いません。
3.亡くなったの宗教別の意味
まとめてみると、人には肉体と霊があります。
そして言ってみれば、この肉体は霊が入って一生涯走る馬のようなものです。
仏教では、人が死ぬと火葬をします。
そして焼いた後には、灰だけが残ります。
その灰を壺に入れお墓へ移動するとき「霊駕をお迎えします。」と言います。
燃えて灰になった肉体を霊駕と言います。
「肉体に霊が乗って歩く」という意味で、「駕」の漢字を使います。
肉体は、霊が入り一生涯、乗って行く馬だということです。
聖書の中のエレミヤ哀歌では、神様が馬に乗って来られると書かれています。 (ハバク3:8-9、哀2:4)
その預言は成し遂げられましたが、実際、神様は本当の馬に乗って来られたのではありませんでした。
エレミヤ哀歌に預言された神様が乗ってくるという馬は、
イエス様の肉体を示していたのであり、神様はイエス様と一緒に来られるということだったのです。
皆さんも、みな馬です。自分自身の霊が、 肉体という馬に乗って走っているのです。 人には霊があり、その霊がいるということは、 神様がいるということを証明しています。
4. 人が死を恐れる理由
人が死ぬと、新たな始まりを迎えます。
だから人は、本能的に死ぬのを嫌い恐れるのです。
動物よりも死を嫌っているのが人です。人は死んだら終わりではないからです。
死んだら霊は肉体から離れ、霊が初めにいた場所に行かなければなりません。
ところが、その道を人は知りません。そのため、怖さを感じるのです。
世界3大嘘の一つがおばあさんが話す「ああ、早く死ななきゃ」という言葉だと思います。
そこで孫が「じゃあ、おばあちゃん早く死んで」と言うと怒られます。
おばあさんは、実際に死ぬのは嫌なのです。
死は年齢とは関係ありません。人には死の影が常に近くにあります。
人は死んですべてが終わるのではありません。 肉体は死にますが、霊は死にません。
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