バイブルマスター

世界で一番売れる本ーバイブル、一度は気になっていたバイブル ! 新天地バイブルマスターが簡単でかつ面白く教えます! 見なかった人はいても、一度しか見ない人はいません! 皆さんもバイブルマスターになれます★ ※このブログの内容は無断転載お断りです※

死ぬとすべてが終わるのか (今まで一度も聞いたことがなかった 人間の存在についての質問と答え)

人の死ガーン

 

1.亡くなったの意味

 

「亡くなった」という表現は、人のみに使うことができます。

それは、人には「動物にはない霊がある」からです。

 

人は死んだ後にどうなるのでしょうか? すべてが終わるのでしょうか?

 

肉体からできているので右矢印死んだらガーンかえるのです。
では、霊はどうでしょうか?霊も墓の中にいるのでしょうか?
それとも、霊は死んだガーンのでしょうか?

肉体は死んでも、霊は死にません。

 
霊は肉体が死ぬとその肉体から離れ、来たところに戻ります。
神様のところから来ました。それなので、
右矢印肉体死ぬと霊神様のところに戻ります。
 
このように、人間には霊があるため「亡くなった」ということができます。
動物には「死んだ」と言います。人にも「死んだガーン」と言うことができますが、
「亡くなった」は唯一、人にだけ使える単語です。
右矢印亡くなったという単語の主語が、霊であるためこれこそが、
人にのみ霊があるという証拠でもあります。
 

2. 人には魂があります。

 

誰かが亡くなったときに、天に帰ったと言います。

先にお話したように、霊が神様に作られたものならば、私達は神様のもとに帰ります。
「天に帰った」と言いながらも、帰る天については考えたことがありません。

「天に帰った」という表現は、「霊は死んだのではなく離れた。初めにいた場所に行った。」という意味です。
つまり、人には霊があるということです。

霊があるということは、神様がいるということでもあります。

右矢印霊をお造りになったのは、神様だからです。

については認めるけれど、神様を認めないというのはつじつまが合いません。

 
3.亡くなったの宗教別の意味

 

まとめてみると、人には肉体と霊があります。

そして言ってみれば、この肉体は霊が入って一生涯走る馬のようなものです。

仏教では、人が死ぬと火葬をします。

そして焼いた後には、灰だけが残ります。
その灰を壺に入れお墓へ移動するとき「霊駕をお迎えします。」と言います。

燃えて灰になった肉体を霊駕と言います。
「肉体に霊が乗って歩く」という意味で、「駕」の漢字を使います。
肉体は、霊が入り一生涯、乗って行く馬馬だということです。

 

聖書の中のエレミヤ哀歌では、神様が馬馬に乗って来られると書かれています。 (ハバク3:8-9、哀2:4)
その預言は成し遂げられましたが、実際、神様は本当の馬馬に乗って来られたのではありませんでした。
エレミヤ哀歌に預言された神様が乗ってくるという馬馬は、
エス様の肉体を示していたのであり、神様はイエス様と一緒に来られるということだったのです。

右矢印皆さんも、みな馬馬です。自分自身の霊が、
肉体という馬に乗って走っているのです。
人には霊があり、その霊がいるということは神様がいるということを証明しています。
 

4. 人が死を恐れる理由

 

人が死ぬと、新たな始まりを迎えます。

だから人は、本能的に死ぬのを嫌い恐れるのです。
動物よりも死を嫌っているのが人です。人は死んだら終わりではないからです。
死んだらガーン霊は肉体から離れ、霊が初めにいた場所に行かなければなりません。
ところが、その道を人は知りません。そのため、怖さゲッソリを感じるのです。

 

世界3大嘘の一つがおばあさんが話す「ああ、早く死ななきゃ」という言葉だと思います。

そこで孫が「じゃあ、おばあちゃん早く死んで!!」と言うと怒られます。
おばあさんは、実際に死ぬのは嫌なのです。

 

死は年齢とは関係ありません。人には死の影が常に近くにあります。

 

右矢印右矢印人は死んですべてが終わるのではありません。
肉体は死にますが、霊は死にません。
 

 

                    

 

 

  やしの木お問い合わせ やしの木 

 ラブレター メール:hikari840314@gmail.com
 手紙カカオトーク:SCJ_GC_JAPAN(http://pf.kakao.com/_kUxlWK​)
  カメラインスタグラム:scj_gc_japan(https://www.instagram.com/scj_gc_japan/​)